「命のビザを発行した杉原千畝を知っていますか?」
人道の港 敦賀ムゼウムには、命のビザや杉原千畝に関する資料があります。
今回は、人道の港 敦賀ムゼウムを調べてきました。
命のビザと杉原千畝

岐阜県加茂郡八百津町の生まれ。
杉原千畝は、第二次世界大戦中にリトアニアでユダヤ人にビザを発給しました。
そのビザが「命のビザ」と呼ばれます。
1940年(昭和15年)ユダヤ人難民たちはナチスの魔手から逃れるため、日本領事館に通過ビザを求め押し寄せた。
数人分位のビザなら自分の裁量で発給可能だが、何百・何千枚となると外務省の許可が必要なため、何度か外務省へ実情を打電。
しかし、「ビザ発給はならぬ」という回答。
悩み苦しんだが杉原千畝は、外務省に背いてビザを発給することを決断。
そのビザこそが「命のビザ」と呼ばれるもの。
ユダヤ人難民やポーランド孤児たちが、命のビザで敦賀に上陸しました。
命のビザの記録や資料として残っているのが、「人道の港 敦賀ムゼウム」です。
人道の港 敦賀ムゼウム

人道の港 敦賀ムゼウムは、2008年3月29日に開館。
移転前の建物は、旧大和田別荘洋館をモデルにしていました。
その後2020年11月に建物も新しくなり、場所も移転しています。

当時の場所に、当時の建物を復元して作られました。
敦賀ムゼウムでは、当時のエピソードが紹介されています。
住所:福井県敦賀市金ケ崎町23−1
開館時間:午前9時から午後5時まで
休館日:水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
料金:500円
<交通アクセス>
北陸自動車道・敦賀ICより 車で約10分
JR敦賀駅より 「ぐるっと敦賀周遊バス」で約8分 「金ヶ崎緑地下車」
JR敦賀駅より 車で約8分
赤レンガ倉庫から徒歩約5分
人道の港 敦賀ムゼウムは何があるの?

敦賀ムゼウムは、2020年11月3日にリニューアル。
ムゼウムは、2階建ての建物で、1階と2階に展示されています。
館内には、このようなコーナーがあります。
- 大陸の玄関口・敦賀港
- 欧亜国際列車
- ポーランド孤児
- ユダヤ難民
- 杉原千畝コーナー
- 交流コーナー
“命のビザ(複製)”も展示しています。
当時の物や文書、来客者のメッセージなども数多くあり、杉原千畝についての理解も深まる施設になっています。
人道の港 敦賀ムゼウムの見どころ

館内の入り口の最初に、小さなシアターでショートムービーがあります。
この映像を見れば、大体の流れが理解でき、そのあと展示を見ることで理解が深まります。
館内には、当時の資料もあり、敦賀にユダヤ人やポーランド難民が来た歴史を感じることができます。

館内は撮影禁止ですが、一部、撮影できるスペースがあります。
建物がキレイで、外観も楽しめます。
建物は、当時を再現した形になっています(復元建物)
人道の港 敦賀ムゼウムのマンホールカード

人道の港 敦賀ムゼウムでは、マンホールカードの配布を行なっていました。
アンケートに答えて、マンホールカードがもらえます。
建物の北側の方には、カラーマンホールがありました。
配布されているのは、港町敦賀をイメージしたカラフルなマンホールカードです。
福井のマンホールカードの記事はこちら
まとめ
敦賀は、欧亜国際列車の発着駅。
大陸への玄関口として栄えた敦賀港があります。
戦前、ヨーロッパに行くには、敦賀からロシアに渡り、ロシア鉄道を経て、ヨーロッパへ向かっていた。
そんな世界への玄関口だった敦賀。
旧敦賀港駅舎もあわせて見ると、欧亜国際列車、ヨーロッパとのつながりが分かりやすいです。
人道の港 敦賀ムゼウムには、ユダヤ人難民やポーランド孤児との敦賀市民との交流の記録も残っています。
想像以上に、日本と世界をつないでいた、敦賀の歴史の深さを感じれる場所でした。
敦賀の観光スポットの記事はこちら
<敦賀ムゼウム近くの観光名所>
釣り好きはこちらの記事。
いかがでしたか?
今回は「敦賀にある人道の港 敦賀ムゼウム」をしらべてみました。
機会がありましたら、敦賀の歴史に触れてみてください。