「命のビザを発行した杉原千畝を知っていますか?」
人道の港 敦賀ムゼウムには、命のビザや杉原千畝に関する資料があります。
- 人道の港 敦賀ムゼウムはどんな場所なの?
- 命のビザは見られるの?
- 人道の港 敦賀ムゼウムを訪れた感想は?
今回は、敦賀市にある「人道の港 敦賀ムゼウム」を調べてきました。
命のビザと杉原千畝
杉原千畝は、1900(明治33)年1月1日
岐阜県加茂郡八百津町の生まれ。
杉原千畝は、第二次世界大戦中にリトアニアでユダヤ人にビザを発給しました。
そのビザが「命のビザ」と呼ばれます。
杉原千畝が、リトアニア共和国首都カウナスにある、日本領事館領事代理時代の出来事。
1940年(昭和15年)ユダヤ人難民たちはナチスの魔手から逃れるため、日本領事館に通過ビザを求め押し寄せた。
数人分位のビザなら自分の裁量で発給可能だが、何百・何千枚となると外務省の許可が必要なため、何度か外務省へ実情を打電。
しかし、「ビザ発給はならぬ」という回答。
悩み苦しんだが杉原千畝は、外務省に背いてビザを発給することを決断。
そのビザこそが「命のビザ」と呼ばれるもの。
ユダヤ人難民やポーランド孤児たちが、命のビザで敦賀に上陸しました。
命のビザの記録や資料として残っているのが、「人道の港 敦賀ムゼウム」です。
人道の港 敦賀ムゼウム
人道の港 敦賀ムゼウムは、2020年11月3日にリニューアルオープンしました。
以前の場所から当時あった場所へ、建物を復元して作られました。
敦賀ムゼウムでは、当時のエピソードがなどが資料とともに紹介されています。
人道の港 敦賀ムゼウム
住所:福井県敦賀市金ケ崎町23−1
開館時間:午前9時から午後5時まで
休館日:水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
料金:500円
<交通アクセス>
北陸自動車道・敦賀ICより 車で約10分
JR敦賀駅より 「ぐるっと敦賀周遊バス」で約8分 「金ヶ崎緑地下車」
JR敦賀駅より 車で約8分
赤レンガ倉庫から徒歩約5分
(旧)人道の港 敦賀ムゼウム
(旧)人道の港 敦賀ムゼウムは、2008年3月29日に開館。
移転前の建物は、旧大和田別荘洋館をモデルにしていました。
その後2020年11月に建物も新しくなり、場所も移転しています。人道の港 敦賀ムゼウムの建物は今も残っています。
人道の港 敦賀ムゼウムは何があるの?
敦賀ムゼウムは、2020年11月3日にリニューアル。
ムゼウムは、2階建ての建物で、1階と2階に展示されています。
館内には、以下のようなコーナーがあります。
- 大陸の玄関口・敦賀港
- 欧亜国際列車
- ポーランド孤児
- ユダヤ難民
- 杉原千畝コーナー
- 交流コーナー
順番にストーリ展開で見ていくことができます。
命のビザ
敦賀ムゼウムでは、杉原千畝の発給した命のビザも展示していました。
展示されている“命のビザ”は複製です。
当時の物や文書、来客者のメッセージなども数多くあり、杉原千畝についての理解も深まる施設になっています。
人道の港 敦賀ムゼウムの見どころ
館内の入り口の最初に、小さなシアターでショートムービーがあります。
この映像を見れば、大体の流れが理解でき、そのあと展示を見ることで理解が深まります。
館内には、当時の資料もあり、敦賀にユダヤ人やポーランド難民が来た歴史を感じることができます。
館内は撮影禁止ですが、一部、撮影できるスペースがあります。
建物がキレイで、外観も楽しめます。
建物は、当時を再現した形になっています(復元建物)
人道の港 敦賀ムゼウムのマンホールカード
人道の港 敦賀ムゼウムでは、マンホールカードの配布が行われています。
アンケートに答えて、マンホールカードがもらえます。
建物の北側の方には、カラーマンホールがありました。
配布されているのは、港町敦賀をイメージしたカラフルなマンホールカードです。
福井のマンホールカードの記事はこちら↓
人道の港 敦賀ムゼウムの感想
穏やかな秋の午後、敦賀市を訪れ、杉原千畝としても知られる「人道の港 敦賀ムゼウム」へ足を運んだ。
岐阜県の小さな町で生まれた杉原千畝は、第二次世界大戦中にリトアニアのカウナスでユダヤ人難民に「命のビザ」を発行し、日本外務省の指示に反して行動した。彼の慈悲深い行動は多くの人々を安全へと導いた。
敦賀ムゼウムは、敦賀の静かな海岸にほど近い場所にあり、当時と同じ位置に復元して建てられている。
2020年11月に施設の移転と更新を経て、平和と人道のメッセージにさらに深くコミットメントしている。
館内の展示は二階建てにわたり、敦賀がヨーロッパとアジアの間の重要な交通の要所として、杉原の決断によって触れられた人生、そして最も暗い時代に希望の光を見出したユダヤ人難民やポーランド孤児の旅を詳述している。
物語は、心に響く劇場プレゼンテーションで始まり、博物館の壁内で繰り広げられる感動的な物語の舞台を設定。
部屋を移動するにつれ、写真、文書は、絶望の時代と人間の優しさの光が暗闇を突き抜けた物語を語っていた。
最も心を打つ展示の一つは、杉原の「命のビザ」の複製であり、単一の決定の重さを静かに思い出させる。
人道の港 敦賀ムゼウムは、杉原の遺産を称えるだけでなく、戦争、平和、人間性のテーマに関する継続的な対話と反省のためのプラットフォームとして機能している。
人道の港 敦賀ムゼウムを出ると、深い感謝と反省の感覚に包まれた。
まとめ
今回は「敦賀にある人道の港 敦賀ムゼウム」をしらべてみました。
敦賀は、欧亜国際列車の発着駅。
大陸への玄関口として栄えた敦賀港があります。
戦前、ヨーロッパに行くには、敦賀からロシアに渡り、ロシア鉄道を経て、ヨーロッパへ向かっていた。
そんな世界への玄関口だった敦賀。
旧敦賀港駅舎もあわせて見ると、欧亜国際列車、ヨーロッパとのつながりが分かりやすいです。
人道の港 敦賀ムゼウムには、ユダヤ人難民やポーランド孤児との敦賀市民との交流の記録も残っています。
想像以上に、日本と世界をつないでいた、敦賀の歴史の深さを感じれる場所でした。
機会がありましたら、敦賀の歴史に触れてみてください。
敦賀の観光スポットの記事はこちら↓
<敦賀ムゼウム近くの観光名所>
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