福井市にある左内公園を知っていますか?
橋本左内は、有名な福井藩士で藩政にも参画しました。
その橋本左内の公園が福井市にあります。
- 左内公園には何があるの?
- 橋本左内はどんな人なの?
- 啓発録の5訓とは?
ここでは、福井市の『左内公園』を調べました。
橋本左内とは?
福井藩主・松平春嶽に学才と見識を認められ、藩政に参画した幕末の志士「橋本左内」
幕末維新を象徴する西郷隆盛は、最期のときまで左内の手紙を手元に置くほど高く買っていた人物。
橋本左内は、天保5年(1834年)福井城下の医師の家に生まれました。
大阪で蘭学、医学を学び、福井藩主の松平春嶽に側近として登用。
24歳で藩校明道館の経営を任され、積極的に西洋の学問や技術を取り入れ、藩士の教育に力を注ぎました。
将軍の後継問題で対立する井伊直弼が大老になり、「安政の大獄」で処刑。
処刑された時の年齢は26歳という若さです。
左内公園はどんなところ?
左内公園は、足羽川の堤防から少し住宅地の方へ入ったところにある公園。
橋本左内の銅像やお墓、芝生広場、小さな遊具もあります。
公園の左側には、橋本左内の大きな銅像が立っています。
公園は、草刈りも行われ、花なども植えられていて整備されている公園。
銅像の奥には、橋本左内お墓があります。
安政の大獄で刑死:安政6年10月7日(1859年11月1日)
享年26歳。
啓発録の5訓
橋本左内が自分への啓発のために15歳の時に残した「啓発録」が有名。
「啓発録の5訓」とも呼ばれ、福井市の左内公園には「5訓」の石碑もあります。
啓発録の5訓
- 稚心を去る
- 気を振う
- 志を立てる
- 学に勉める
- 交友を択ぶ
15才の時に、これからどのように生きていくのかを書いたのが啓発録です。
時代が変化した今の時代でも、とても大切にしなければいけないことが書かれています。
左内公園には、啓発録の5訓が書かれた石碑があるので、チェックしてください。
立志式
福井県内の学校では、橋本左内を題材にした授業があります。
中学生の時に、立志式が行われている学校も多いです。
啓発録の5訓のひとつに「志を立てる」というのがあり、志を立てたり、自分なりの5訓をつくったような記憶があります。
今改めて思うと、志を立てることは大切なことだが、さらに大事なのはその強さ。
志を行動へと変えて、常に結び直すことが必要だと感じました。
左内公園へ訪れて、啓発録の5訓について、もう一度考えるきっかけになりました。
芭蕉宿泊地 洞哉宅跡
左内公園の一角には「洞哉宅跡」があります。
洞哉は、奥の細道に福井の俳人として描かれた人物で、この近くに住んでいたようです。
左内公園には、松尾芭蕉に関する展示があり、整備されていました。
パネルには、奥の細道の旅の説明や福井で詠まれた句が書かれています。
芭蕉は福井で二泊。日時は元禄2年8月11日と言われます。
公園には「芭蕉宿泊地 洞哉宅跡」と書かれ、芭蕉の句が書かれた句碑があります。
見えにくいですが、石碑に句が書かれています。
名月の見所問ん旅寝せん 松尾芭蕉
その後、芭蕉は敦賀の方へ向かっています。
奥の細道では、越前で詠まれた句が五句あります。
北陸道のサービスエリアには、松尾芭蕉の石碑もありますので、もし機会がありましたら石碑もみてください。
左内公園には、橋本左内だけでなく、松尾芭蕉の宿泊地 洞哉宅跡があったことに驚きました。
もし機会がありましたら、左内公園に訪れてみてください。
左内公園のアクセス
左内公園 | |
住所 | 福井県福井市左内町7−7 |
駐車場はありません。
JR福井駅から徒歩で15分ほど(約1.2km)
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今回は、「左内公園」を調べてみました。
福井駅周辺の観光時に立ち寄ってみるといいかもしれません。
福井しらべ編集長
WEBライター兼クリエイター
福井生まれ。福井育ち。福井の情報や面白いスポット、美味しいお店など、実際の体験をもとに、わかりやすく提供することを心がけています。
趣味は英会話とカフェ巡り。福井のスポットを巡るのも好きです。福井の魅力を発見し、皆さんと共有できればと思っています。
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