橘曙覧の藁屋跡はどんな所なの?【歴史好きにオススメのレアスポット】

橘曙覧の宅跡(藁屋)

「橘曙覧を知っていますか?」

橘曙覧は、福井生まれの有名な歌人です。

福井市には、「橘曙覧記念文学館」もあり、橘曙覧にまつわるスポットもあります。

今回は、福井市にある「橘曙覧の宅跡(藁屋)は、どんな所なのか?」調べてきました。
 

目次

橘曙覧の宅跡

橘曙覧:たちばなあけみ

橘曙覧宅跡

橘曙覧は、幕末の歌人です。

「万葉、実朝以来の歌人」と正岡子規に絶賛され、全国的に紹介されました。

橘曙覧の「独楽吟」(どくらくぎん)が有名です。

たのしみはから始まる歌。

ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、たのしみはから始まる橘曙覧の歌の一首を使ったことは有名。

それがきっかけで、橘曙覧がさらに脚光を浴びることになりました。

「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」

橘曙覧が生きていたのは明治の前です。

生没:1812年(文化9年)~1868年(慶応4年)

今から150年以上前になくなっています。(57歳)
 

橘曙覧の生まれは、福井城下石場町(現在のつくも1丁目)。今は道路脇に記念碑が建てられています。
 
曙覧は、実家を離れ、愛宕山(現在の足羽山)で暮らしていました。

その後、三ツ橋(現照手2丁目)に居を移しました。
 
居を移し住んでいた所が、「橘曙覧の宅跡(藁屋)」です。

橘曙覧の宅跡入口

曙覧が、37歳のとき、それまでの住まいであった黄金舎から住居を移し、57歳まで住居した場所です。

藁屋は街中にあり、10畳ほどのスペース。建物などはなく、石碑や井戸の跡があります。
 

「橘曙覧の宅跡」と書かれた石碑があります。

曙覧の宅跡

入り口に立っている石碑には、草庵「藁屋」の跡であると書かれています。

橘曙覧が、37歳の頃から、21年間ここで暮らしたようです。

松平春嶽がここへ訪れ、「志濃夫廼舎((しのぶのや))」と改名させたということが記されています。

志濃夫廼舎は、福井藩主松平春嶽が藁屋を訪れた時に賜った名前です。

奥の石碑

橘曙覧宅跡の奥にも石碑があります。

奥の石碑

奥の石碑には、曙覧の和歌が彫られています。(どの和歌なかは分かりませんでした)

 
敷地内には、袖干の井もあります。

袖干の井

橘曙覧の歌の中にも登場する井戸です。
 

袖干の井の案内板

袖干の井の案内板

ここに井戸を掘ったそうで、その跡が残っています。
 
案内板には、曙覧の和歌が書かれています。

濡らしこし
妹が袖干の
井の水の
湧出るばかり
うれしかりける

年老いた妻のために掘った井戸。曙覧の優しさを感じれます。

橘曙覧の宅跡(藁屋)へは、福井藩藩主の松平春嶽も訪ています。
橘曙覧は、松平春嶽からの福井城出仕の要請には辞退をしたそう。橘曙覧は独自の世界観、価値観を持っていたんだろうと感じました。
その人柄に興味がわきました

橘曙覧宅跡(藁屋)の注意点

橘曙覧宅跡の周辺

橘曙覧の宅跡(藁屋)の場所は狭いです。

住宅街にあり、場所も分かりにくいです。

駐車場はありません。

道路沿いに小さな看板があります。

道路沿いの看板

橘曙覧藁屋跡30mと書かれた看板が目印です。
 

橘曙覧に興味がある方はぜひ立ち寄ってみてください。

「橘曙覧記念文学館」から散策するのもいいかもしれません。(徒歩だと15分ほどです。)

橘曙覧記念文学館はこちら

橘曙覧宅跡(藁屋)のアクセス

【橘曙覧宅跡(藁屋)】
住所:福井県福井市照手2-5-13

福井駅から徒歩約30分
福井駅から車で8分

福井駅でレンタサイクルを借りるのもいいです。

福井駅周辺の観光地はこちら

今回は、「橘曙覧宅跡(藁屋)」へ行ってみました。

福井の観光の参考になればと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次