二条城の京都国際ホテルの福井藩邸跡はどうなった?橋本左内は?

二条城
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京都の福井藩邸跡をしらべてみた。

京都二条城の近く(油小路二条下る)にあった
福井藩邸(ふくいはんてい)。

藩庁は福井城

ここにあった藩邸は、
幕末の福井藩の活躍にとって大きな役割を果たしました。 

江戸後期の頃で、
幕府政治の改革や公武合体運動の活動拠点となっていました。

福井藩は、慶長5年(1600)、徳川家康の二男結城秀康が封ぜられたのに始まる藩で、
幕末は松平慶永が藩主となり、水戸藩とともに幕府政治の改革に乗り出し、公武合体運動をすすめました。

歴史の教科書などでも登場する
「橋本左内」の京都の住まいが、現在の京都国際ホテル付近にあった福井藩邸。

橋本左内は、安政五年(1858)二月から四月まで、
この地にあった福井藩邸に居住して活躍。

藩邸は、二条城の近くにあり、
天保2年(1831)の京都絵図に描かれています。

現在の二条城入り口

二条城の向かいの、
京都国際ホテル前には、「福井藩邸跡」がありました。

(福井藩邸跡と橋本左内寓居跡の石碑や駒札がありました。)

しかし、
京都国際ホテルが2014年12月26日で営業を終了し、
現在は、取り壊されています。

そういえば、京都国際ホテルの前にあった、「橋本左内寓居跡」の碑と「福井藩邸跡」の碑はどうなったのだろう?

 
ホテルがなくなったので、
壊されてしまったのだろうか?

すごく気になり、
これは調べてみないと・・・

というわけで、
京都へGO!

京都国際ホテルがなくなった現在、
京都の福井藩邸跡はどうなっているのでしょう?

 
京都の国際ホテルがあった場所の現在。
ホテルは、跡形がなくなっています。

しかも、
フェンスに覆われていて立ち入ることも、
中を見ることも出来ない。

困ったな〜

とりあえず、
観光案内所や博物館に聞いてみたが、
現在は不明とのこと。

どこかに移設されたわけでもないようだ。

近くの人に聞いてみたら、
「三角の屋根の重要文化財?は残されているみたい。」
ということを言っていたがはっきりとは分からない。

さすがに、福井藩の石碑はマイナーで、
そこまで注目度はないのか・・・

とりあえず、分かったことは、
「今は福井藩邸跡の石碑などを見ることは出来ない」ということ。

もし、見れるとしたら、
次のホテル『HOTEL THE MITSUI KYOTO』が完成した頃になりそうだが、
2020年以降にはなりそうだ。

【その後の情報】

2020年11月3日に「HOTEL THE MITSUI」が開業。

その前には、福井藩邸跡の石碑と説明文があります。

今回は「京都の福井藩邸跡の現在」をしらべてみました。

機会があれば、今後もチェックして行きます。

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